機動戦士ガンダムSEED DESTINY第50話「最後の力」感想。

忙しいので大まかな感想でご勘弁を。
結局何を表現なさりたかったのでしょうか、ここまで意図が不明瞭ですと空いた口がふさがりません。今回の話の内容は矛盾云々と言うよりも単純に意味が分かりませんでした。それゆえ本話の具体的な内容についての感想はオミットさせていただきます。
このCEの世界観は「SEED DESTINY」開始時と比べても何ら成長していません。「ナチュラルとコーディネイターは分かり合えるんだ」という理想論のみで両者が和解した前作の結末は、本作の冒頭でサトー隊によって否定されています。そこで物語上の説得力を持った新たな結末を用意する必要性が生まれます。最初にロゴス打倒という結末を用意し、それを不十分としてデスティニープランと言う要素を準備した、その内容には疑問が残りますが、手法としてはまぁ、よしと出来る範囲内です。しかしそのデスティニープランの全体像を明確にしなかった挙句、それをさらに「戦っても良いのです。(この台詞自体何が仰りたいのか分かりませんが)」とし、デュランダル打倒後のビジョンが全く示されていないラクス一派に否定させるというのはなぁ、これで一旦戦いが収まったとしても、その平和に物語上の説得性はないわけで。この物語を一言で表現させていただくとするならば、「元の木阿弥」かなぁと思います。ロゴス打倒で終わっておいた方がまだマシだった、と言えるほどです。
あまり悪口雑言は吐きたくないのですが、このシリーズを累計100話、50時間に渡って必死に視聴していたのかと思うと馬鹿馬鹿しくなりました(何週間も前からそういった思い自体はありましたが)。
所用が済んで落ち着きましたら総評を書かせていただくかもしれません。
新日本プロレス・藤波選手の歌われる「マッチョドラゴン」でも聴いて寝るとします。この歌いろんな意味で物凄いですねぇ(笑)。